日本の塩素殺菌の歴史
日本の水道の歴史は、室町時代後期(戦国時代)相模の戦国大名北条氏康によって小田原城城下町に小田原早川上水が建設されたのが最古の記録です。
明治時代に近代的水道が整備
その後、明治時代には西洋の近代的水道が導入され、公衆衛生の確保のため都市部を中心に上水道の敷設が行われていきました。 しかし、コレラ、赤痢、腸チフスなど、水を介して伝染する病気に感染し幼児の死亡率も高く、1921年(大正10年)に東京市と大阪市で塩素殺菌が始まります。
高度経済成長期には飛躍的に普及して、おおむね1975年(昭和50年)ごろには一部を除き日本全国に上水道網が完成し、水道施設の整備、塩素殺菌が進むに伴って伝染病の感染者は急激に減少しました。
塩素投入の上限は決められていない
日本の水道水の消毒は水道法第22条に基づく水道法施行規則(厚生労働省令)第17条3号により「給水栓(俗に言う蛇口)における水が、遊離残留塩素を0.1mg/L(結合残留塩素の場合は0.4mg/L)以上保持するように塩素消毒をすることと定められています。
塩素は浄水場で投入し、そこから水道管を通って各家庭の蛇口まで水道水が届けられるのですが、半永久的に持続して存在できるものではなく、比較的に短い時間でその殺菌効果はなくなってしまいます。
その為、水道局から家庭までの距離がどのくらいあるかによって、検出される塩素濃度は変わってしまうので、水道局から遠い水道栓で塩素の濃度を測ると実際には0.01ppm以下の所も見つかってしまう事もあると言われています。
水道法では塩素を使用する上限は決められていないため、もっとも遠い場所で0・1ppmの塩素濃度を出そうとして大量の塩素を投入すると、浄水場の近くに住んでいる人は高濃度の塩素の口にしてしまう現状があります。
水道水のカルキ臭いにおいの原因は塩素が原因
塩素から発癌性物質が生成されてしまう
塩素は揮発性が高く、比較的短時間で効力がなくなってしまうので、安全な物質と考えられていましたが、 1974年(昭和49年)にアメリカのロバート・ハリス博士は「ハリスレポート」で、塩素は有機物と科学反応を起こして発癌性物質のクロロホルム(トリハロメタンの一つ)に変わってしまうと発表しました。
その後、カルフォルニア州健康局は健康影響調査で、「塩素を基準値以内であっても妊娠中の女性が大量に飲んだ場合、流産する可能性が高くなる」ことが公表され、日本でも読売新聞が同記事を1998年2月19日に発行、「水道水の中に発癌性物質が含まれている」(毎日新聞 1978年年7月12日)と水道水の安全性に関して記事を掲載しています。
塩素殺菌により、水道水による伝染病は激減しました。 しかし、塩素が原水に含まれる有機物と化学反応を起こし、「クロロホルム」「ジブロモクロロメタン」「ブロモジクロロメタン」「ブロロホルム」などのトリハロメタンが作られてしまいます。
「クロロホルム」や「ブロモジクロロメタン」など単体での発癌性や毒性の検査は行われていますが、これらの物質が複合で混ざりあった、クロロホルム+ジブロモクロロメタン+ブロモジクロロメタンのような様々な組み合わせでの人体や生物への影響調査や毒性検査は十分に進んでいません。